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ソロモンの秘宝

ソロモン諸島の地震がありました。 ソロモン諸島と言えばどうしても私は


WWⅡのガダルカナル島を巡る日米の激戦を思います。

映像で見るように海が綺麗でリゾート地ですが、当時は「餓島」と称され、日米たくさんの人命が失われた場所です。

戦闘よりもマラリアなどの熱病と飢えで亡くなった日本人兵士が多かったことで「餓島」という名がついたようです。


経過を説明すると

当初は島そのものの場所もはっきりしておらず、初めに見つけたが、日本軍でした。飛行機を飛ばせる草地を発見して、飛行場建設のために工兵部隊を派遣してもっこや、つるはしで地道に整地をはじめてようやく、滑走路が出来そうな状態になったころ、後から島を見つけた、アメリカ軍に飛行場建設をさとられ、アメリカは大軍をガダルカナル島に上陸させ、工兵主力の日本軍を蹴散らして出来かけの飛行場を占領しました。

アメリカは工業力を駆使してブルトーザーやローラーなども利用して、たちまち飛行場を整備しました。日本軍が人力に頼っていたとは大違いです。そこですぐに飛行機を進出させて飛行場としての機能を完全にしました。


一方、日本軍は出来かけの飛行場を奪われて当然奪回を試みます。
ニューブリテン島のラバウルに軍の主力を置いていた日本軍は陸軍を動員してガダルカナルに陸軍の大軍を送り込みました。

そこで一つの島の飛行場を巡って日米双方が飛行機、軍艦、人員を送り込む総力戦に発展しました。


結果は物量に勝るアメリカ軍の粘り勝ちでした。局面では日本の陸海軍も勇戦して飛行場を奪回する寸前までこぎつけましたが、弾丸・食料・医薬品・資材などの補給品が日増しに不足、島までの輸送さえアメリカ軍の飛行機に阻害され出来なくなりました。輸送船に乗った大人数の陸軍兵士が船ごと沈められるなど、多くの悲劇が起きました。また日米戦争に反対して有名な海軍の山本五十六長官も前線の偵察中に飛行機を撃墜されて戦死されました。


これらの結果、戦闘よりも亜熱帯特有の熱病や栄養不足で次々に兵士は倒れ、陸軍本部からの度重なる無茶な作戦の結果、日本軍は戦うことも出来なくなりジャングルの奥地に追い込まれて凄惨な状況に立たされます。


このことを端的にあらわす兵士たちの様子があります。

立つことの出来る人間は、寿命30日間
身体を起こして座れる人間は、3週間
寝たきり起きられない人間は、1週間
寝たまま小便をするものは、3日間
もの言わなくなったものは、2日間
またたきしなくなったものは、明日


経過に戻りますと

ようやく、島の飛行場の奪還をあきらめて日本軍が撤退を決めたのは戦いが始まってから半年後でした。



日本軍 

動員兵力  約31500人
戦死    約5000人
病死・餓死 約15000人

米軍

動員兵力  約29000人
戦死    約1600人
戦傷    約4700人 

この人数は島での犠牲数で、この島を巡る戦いで沈んだ軍艦の乗員や飛行機のパイロットなども含めるとさらに被害は大きいと思います。



そして

この戦いを契機に日本は敗戦の道を歩むことになります。




今でもソロモン諸島にはたくさんの激戦地の傷跡として紺碧の海に沈む軍艦や飛行機、砲台の跡などがあるそうです。


リゾートの観光もいいですが、このような悲劇があったことも日米双方とも思い出すことはとても大事ではないでしょうか。

加えて、日米双方の戦いによって島に当初から住んでいた住民の皆さんも戦いに巻き込まれて犠牲になった人も多くいます。



島の人々が、地震被害からできるだけ早く復興するといいですね。




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