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ガックン

武田家の紹介だけであると片手落ちなので上杉家も…

上杉謙信は軍事では精強な軍団を率いて軍神のような扱い方をされるが、武田信玄と明らかに違う点は人の使い方でしょう。

謙信が上杉家を継ぐ前後も越後領内では内紛が絶えず、今の新潟市の下越地域の国人(揚北衆)は謙信に対し、裏切りと追従を繰り返しており、その鎮圧のため東奔西走している。
武田信玄も、この家臣団の不仲を利用して反乱を起こさせ、謙信を越後国内に封じ込めている。
また越後は地域的に山に囲まれているため、特に冬季の出陣は豪雪と隣り合せで活動時期に限りがあった。

実際、謙信個人も家臣団のまとまりのなさに憤り感じ、領主の地位を投げ打って寺に籠もり家臣の度重なる説得でようやく城に帰るような事件も起こしている。

元々、越後の守護は上杉家であり謙信の生まれは守護代の長尾家である。
謙信の父である長尾為景は守護の上杉家に反逆して領地を奪った経緯があるため、謙信の時代になり上杉家家臣VS長尾家臣が分裂したのもこのような理由がある。

皮肉なことに後年、宿敵である上杉家から謙信は関東管領職を譲られたため、上杉の性を名乗ることになる。

また謙信個人は、信玄と比べ領土欲がないため、戦争に勝利しても家臣団に与える領地がないため、家臣団の不満が募ることになった。
家臣団は莫大出費をし戦争に参加しながら恩賞がないがために謙信から離れる家臣がいたことも納得ができる。

それでも結束が固い武田家と川中島で大軍を率いて合戦を繰り広げ、引き分けにした事実は、謙信の武勇と知略とも言える。

その後も関東管領の謙信は信濃では武田家、関東では北条家、北陸では一向一揆と織田家と各地の大名との合戦に引き込まれている。

上杉軍団の強さは武勇に長けた将が多く宇佐美定満に代表される知略に長けた将も謙信を支えたことにある。
加えて武田家同様、全国でも抜群の算出量を誇った佐渡金山を所有し軍資金の維持ができた。

上杉領内が落ち着いたのは謙信亡き後の後継者争いに勝った上杉景勝の時代である。
兜に『愛』の字を掲げていた家臣の直江兼続も同時期に登場する。(平成21年度大河ドラマの主人公)

しかし安定した景勝の時代は既に秀吉の天下でもあり、大名同士が合戦を繰り広げていた時期は終わりを告げていた。

ちなみに謙信は無類の酒好きでもあり、生涯一度も妻をとらなかった。異説で謙信は女性だったとも言われるが、事実は信仰心が強かった謙信の気構えだったのかもしれない。

領土の取り合いの戦国時代にあって他家のために、義理を重んじた謙信の人気は根強い。

江戸時代も生き残った上杉家。逆に滅亡した武田家。

その違いがまた歴史の面白さだと感じる。

おわり
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