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異教徒

クリスマスシーズン
街はイルミネーションに飾られ眩いかぎりですが。

勤務を終えて退社し、街に出ると、あちこちにカップル。
いやいや幸せそうで何より。

同時に痛々しいカップルも沸いており、歩いていて面白くて仕方なく笑いそうになりました。
クリスマス当日になって、誕生した…にわかカップルがどれほどいるか調査したいぐらい。
無理やりクリスマスに合わせて急ごしらえの感が伝わってくる。
そこまでして…と思うのは私だけかな。
イベントと言うのは節目として有効であるが、あまり世の中に迎合しない私はあまり興味がない。

サンタさんが来てプレゼントでもくれるなら話は別だが、この年齢になってサンタを信仰するのは危険な気がする。

キリストの誕生日と言うより、サンタが全面的に展開される日本のクリスマスはおかしい。

日本の古来の宗教で例えれば、まるで最澄先生や空海先生が生まれ日に肉を喰らいケーキを貪るだろうか。あげく、人様に物品を要求するだろうか。

やはり
寺に籠もって皆で祈祷しましょう。『世の中がよくなりますよーに』と。

サンタさんお疲れ様でした。

イブの日はウナギを食べた私です。

あひゃ(・∀・)

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近況

ブログの更新を忘れていました。
生きてますよ。

怒涛の四連投。
ふぃ~

只今、我が地元はイルミネーションだらけ。

光ページェントやらも始まってから結構年を重ねている。

なんか東京のやつらが真似しやがったが。
むしろ毎日光っている東京なんぞ灯火管制しいて真っ暗にした方が新鮮かと思います。

キリストの誕生日も大事ですが、天皇陛下の誕生日も忘れないように。

スメラミコトイヤサカ

ガックン

武田家の紹介だけであると片手落ちなので上杉家も…

上杉謙信は軍事では精強な軍団を率いて軍神のような扱い方をされるが、武田信玄と明らかに違う点は人の使い方でしょう。

謙信が上杉家を継ぐ前後も越後領内では内紛が絶えず、今の新潟市の下越地域の国人(揚北衆)は謙信に対し、裏切りと追従を繰り返しており、その鎮圧のため東奔西走している。
武田信玄も、この家臣団の不仲を利用して反乱を起こさせ、謙信を越後国内に封じ込めている。
また越後は地域的に山に囲まれているため、特に冬季の出陣は豪雪と隣り合せで活動時期に限りがあった。

実際、謙信個人も家臣団のまとまりのなさに憤り感じ、領主の地位を投げ打って寺に籠もり家臣の度重なる説得でようやく城に帰るような事件も起こしている。

元々、越後の守護は上杉家であり謙信の生まれは守護代の長尾家である。
謙信の父である長尾為景は守護の上杉家に反逆して領地を奪った経緯があるため、謙信の時代になり上杉家家臣VS長尾家臣が分裂したのもこのような理由がある。

皮肉なことに後年、宿敵である上杉家から謙信は関東管領職を譲られたため、上杉の性を名乗ることになる。

また謙信個人は、信玄と比べ領土欲がないため、戦争に勝利しても家臣団に与える領地がないため、家臣団の不満が募ることになった。
家臣団は莫大出費をし戦争に参加しながら恩賞がないがために謙信から離れる家臣がいたことも納得ができる。

それでも結束が固い武田家と川中島で大軍を率いて合戦を繰り広げ、引き分けにした事実は、謙信の武勇と知略とも言える。

その後も関東管領の謙信は信濃では武田家、関東では北条家、北陸では一向一揆と織田家と各地の大名との合戦に引き込まれている。

上杉軍団の強さは武勇に長けた将が多く宇佐美定満に代表される知略に長けた将も謙信を支えたことにある。
加えて武田家同様、全国でも抜群の算出量を誇った佐渡金山を所有し軍資金の維持ができた。

上杉領内が落ち着いたのは謙信亡き後の後継者争いに勝った上杉景勝の時代である。
兜に『愛』の字を掲げていた家臣の直江兼続も同時期に登場する。(平成21年度大河ドラマの主人公)

しかし安定した景勝の時代は既に秀吉の天下でもあり、大名同士が合戦を繰り広げていた時期は終わりを告げていた。

ちなみに謙信は無類の酒好きでもあり、生涯一度も妻をとらなかった。異説で謙信は女性だったとも言われるが、事実は信仰心が強かった謙信の気構えだったのかもしれない。

領土の取り合いの戦国時代にあって他家のために、義理を重んじた謙信の人気は根強い。

江戸時代も生き残った上杉家。逆に滅亡した武田家。

その違いがまた歴史の面白さだと感じる。

おわり

ヤマカン②

前回の続き

武田家の強み…概略にはなりますが簡単に紹介。

①内政
信玄堤に代表される治水事業を展開し新田開墾を奨励、生産性向上に努め特産品の開発にも尽力。
また甲斐にある黒川金山は金を産出し、甲州金として扱われ武田家の軍資金を支えた。また『甲州法度次第』と言う分国法を施行し法令も整備。駿河併合後は水運事業の展開も構想していた。

②外交
早い時期に今川家、北条家と三国同盟を組み東と南からの後顧の憂いを断ち、信濃全域の併合のため万全に準備、のちに織田家に対抗するため浅井家、朝倉家、本願寺とも誼を通じていた。朝廷にも寄進している。

③人事
適材適所を見極め、出自、貴賤に関係なく広く有能な家臣を集め人材登用した。武田四天王や武田二十四将(江戸時代につけられた呼称)などが有名。

④情報
三つ者(スパイ)を各地に派遣し各大名の情報を収集。また国境各地に狼煙台を配置し隣国の情勢に敏感で棒道と言われる幹線道路を整備し軍事、流通にも広く活用した。

⑤軍事
上記のような要素が背景にあり精強な軍団が形成され、武田家は特に騎馬隊が有名だが、甲信地方は馬産地として知られて元来、馬術の練度も高い。加えて甲州軍学と言われる独自の戦法や戦術を駆使していた。
例えば、合戦中は合い言葉を使い、とっさに応えないものは味方でも殺されたり、指揮官が討死にしても、次に指揮を執る者が順序づけされており、他家に比べ隊列が乱れることも少なかった。指揮の号令を執る陣太鼓も有名である。
ちなみに変わり種の部隊として投石隊などもいた。

⑥信仰
諏訪大社をはじめ、寺社仏閣に多大な寄進(寄付)をし、宗教勢力とも友好的な関係を維持。信玄も自ら出家している。(出家前の名前は武田晴信)

以上、概略を書きましたが…

武田家は信玄というカリスマの存命時は強く一枚岩でまとまっていた。
しかし信玄死後は信濃諏訪出身の武田勝頼が実質の後継者になると、家臣団が古参の甲斐出身者と新参の諏訪出身者で分裂する。
結果、徐々に勝頼は諏訪出身の家臣を重用し、甲斐出身の古参家臣が最後まで反対していた長篠の合戦に踏み切り、古参の家臣団は自殺に近い突撃を繰り返して精鋭騎馬隊は織田徳川連合軍の鉄砲隊の前に壊滅したのは衆知の事実である。
長篠の合戦は織田徳川の鉄砲隊の活躍が有名だが、武田家臣団の分裂が敗因の根底にある。

その後の武田家は親類を含む味方が次々と織田家や徳川家へと裏切り、自滅し滅亡した。

この史実は武田信玄と言う人物があまりにも大きな人間であったとも換言できる。

主家が滅んだ武田の家臣団は、後に多くは徳川家に仕えた。
家康も武田家の軍学を徳川家に取り入れ、関ヶ原、大坂の陣でも活躍している。
ちなみに
最近よく見かける…滋賀県彦根のキャラクター『ヒコニャン』
あのニャンコの赤い兜は彦根藩祖、井伊直政のもの。
井伊家は武田家臣の山県昌景隊などの赤備え(鎧が赤色の部隊)を武田家滅亡時に雇い入れ継承している。
こんなところにも武田家が関わっていたりします。

おわり

ヤマカン①

先日、今年度の大河ドラマが終了

『風林火山』は日本の戦国時代の武田家臣、山本勘助のストーリーでした。

川中島の戦いで討死にするエンディング…最後のシーンが武田重臣のみ集まっており何故か本陣がら空き…有り得ない光景で突っ込みどころ満載でしたが(笑)ドラマだから仕方ないかな。

実際、第四回川中島の戦いの勝敗ははっきりしない。
武田が北信濃の制圧を完了したわけでもなく、上杉が武田勢力を北信濃から駆逐したわけでもない。
双方が多大な犠牲を払ったことは事実のようです。
銅像で有名な信玄と謙信の一騎打ちも江戸時代の脚色で実際はなかったようです。混戦で武田本陣にも上杉兵が攻め入り信玄に斬りつけた可能性は否めないですが…。
ドラマでも描かれていたが、この戦いで武田信玄の実弟の武田信繁、重臣の諸角虎定(80過ぎの老将!)らが討死。
特に武勇知略に秀でた信繁の討死は敵味方からも惜しまれたようです。
蛇足だが、もう一人の弟の武田信廉は姿かたちが兄信玄に似ており後に信玄が病気で伏せると影武者として活躍した人で、絵画に秀でており絵ばかり書いていた文化人でもあったようです。彼は武田家滅亡の折、織田家に捕らわれ処刑されています。

巷で戦国最強と称される武田家。ただ戦争に強かっただけではない。強かった理由がある。
詳しくは…
次回に持ち越し。

イギリス

先日、大学の吹奏楽団のコンサートに初めて見に行った(笑)

毎年参加していた演奏会をお客さんとして見たのは感慨深いものでした。
計画、練習、運営と裏側もいろいろ知っているわけで、顔見知りの後輩達もたくさん在籍していたから、とても楽しめてニヤニヤしながら見聴きしてました。

普通のお客さんにとっては演奏会で初めて聴く曲、そしてその日の演奏が、その団体の音でもあると思う。
奏者側であると何度も聴いて練習しているから、演奏の出来にどうしてもこだわるのは仕方がないし、当たり前だ。

でも普通のお客さんはそんなことはわからない。
その日、見て聴いたものが全て。
評価されるコンテストとかコンクールは別だが、演奏会はやはり視覚的なものも奏でられる音ともに大きな印象を与える。

以前、中学生のマーチングを手伝いをしながら見ていた。
完全コスプレ、演奏には使わないディティールの部分も、道具類も全て統一されていた。
その上での動きのある演奏。
見てて圧巻だった、迫力があったし、演奏を聴いてて曲のテーマが頭に浮かんだ。
終わった時、会場からは惜しみない拍手。
『もう一度聴きたい』と直感で思えた演奏だった。
音程がどうとかリズムがどうとかそんな細かい話ではなく、演奏中の彼らの雰囲気に取り込まれた感じであった…。
大学のみんなの演奏を聴いててこんなこと思い出した。

これからも、印象に残るような演奏みんなで続けて欲しい。
奏者個人で印象に残る曲は嫌でもできるし!ミスって!(笑)
なかなか団員全員が共感できる演奏って難しいですよね。

話は変わるが…
大人数で一つものを作り上げると言うのは楽しい。渦中のときは大変だが、終わってもの足りなさを感じるぐらいがちょうどいい。悔いではなく、『またやりたいな』と思ったら成功ではないか。

大人数で何か物事をこなすと言うことは人間必ずするべきだ。
自分の狭さと、周りの素晴らしさが見えてくる。それがわかると謙虚にもなるし、優しくもなれる。また、新たな発見にもなる。
そう意味で大人数で演奏する吹奏楽はいい勉強と体験になる。

なんか話が反れたが…参加された四年次以上の皆さん、お疲れ様でした。
在校生の皆さん、日々の活動を頑張って下さい、私みたいに皆さんの演奏を楽しみにしている人間がいることを忘れないで下さいね!
お手伝い皆さんもお疲れ様でした。

最後に、皆さんの演奏を聴いていて、私も皆さんのような素晴らしい人達と混ざって演奏していたことを誇りに思えました。(マジで)

関係各位
お疲れ様でした。

そして
やっぱり女子大生はかわいい(意味不明)
以上

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