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演技と演義

三国志、赤壁の戦いをモチーフとした映画『レッドクリフ』を観て来ました。
アクションがすごいですね。CGもあるでしょうが、よく動くものだと。


歴史映画を見るとどうもなぁ・・・
脚色されている部分が目に付く

まず、『正史』ではなく『三国志演義』を基にしている描写のようですね

呉の配下武将 「甘興」・・・ってだれだよ(笑)
おそらく甘寧(興覇)のことなんだろう・・・

ちなみに、劉備配下の武将が強すぎです(笑)


でも
映画では脚色しないと話が面白みに欠けるし、時間の制限もあるだろし。
結構、戦闘シーンが多い。よって血生臭い部分も多いため、苦手な人もいるかもしれない。


Part2が2009年 4月公開とか・・・

Part1は赤壁の戦いに至る、前哨戦まで描いている。
三国志を知っている人だと「あれー?」って思うことは多いと思うが、アクション映画好きな人はいいかもしれません。


曹操はますます悪者イメージ定着するな。

三国志はストーリーが長い。人物の相関を理解していると楽しめます。
日本人には圧倒的に『三国志演義』が人気ありますけどね。


後半も見ないとなぁ 中途半端すぎる。
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絨毯

すみません更新していませんでした…

63年前の3月10日は東京大空襲でした。
あまり知られていませんが。一夜にして実質10万人以上が亡くなった悲惨な日。
小学校の頃、東京大空襲の手記を読んであまりの凄惨さに驚いたことを思い出します。

原爆、終戦記念日はクローズアップされるが東京大空襲は認知度は低い。
原爆同様に犠牲者は一般市民。
なぜ軍事施設ではない下町を緻密に区画した上で徹底的に爆撃したのか。

今でこそ、ユーゴの内戦や中東での紛争で爆撃している映像が流れるが、深夜300機以上と言うB29が空を埋め尽くし、低空で侵入し焼夷弾をばらまいた事実。その恐怖は現代に生きる我々には想像できない。

枢軸国ドイツも戦争末期に連合国に爆撃されているが日本ほど執拗には爆撃されていない。

都市のつくりと家屋の特性の違いもある。
ヨーロッパと異なり日本の都市の住宅は密集しており、当時はほぼ、木製家屋。
使われた爆弾が家屋の破壊が目的ではなく燃やすことに特化された焼夷弾。まさに日本爆撃用に作られたと言っても過言ではない。結果、効率よく都市を燃やすための爆撃が実施された。

アメリカは戦争終結のため、日本国民の士気を下げるために無差別爆撃を敢行したとも言われる。

軍事施設や工場地帯が爆撃されるのは理解できる。
しかし執拗に東京含め地方の都市隅々まで爆撃する必要があったのか。
アメリカの責任は大きい。人命はもちろん貴重な文化財も多く焼失している。

前線の兵士の対義語で『銃後』と言う言葉がある。
日本に対して実施された爆撃はまさに目標が銃後の人々であった。

一概に比較は出来ないが、騙し打ちとアメリカが言う日本による真珠湾攻撃は、目標が軍港と艦船。非戦闘員は攻撃していない。

戦勝国は『勝てば官軍』後から都合よく正当化もできる。

同時に日本人と言うのはある意味で忍耐強い。
原爆含め無差別爆撃されても、終戦後連合国側には意見しない。サンフランシスコ平和条約で戦後補償を放棄している。
これが某近隣国なら徹底的に教育し子々孫々まで過剰なほど語り継ぐであろう。
過剰な被害者意識の教育はよくないが、事実すら忘れさられる日本の近現代史教育。
何度もブログにも書いたが、誰の犠牲があって今の日本があるのか。

私は意味不明な道徳やるより、近現代史に時間を割くべきだと思う。
マニアックな日本史ではなく起きた事実を正確に語り継ぐべきだ。
近現代(昭和初期)は当時のことを知っている生き証人がまだ存命である。だから早急に対処するべき。
教科書検定でグダグダ騒いでいる場合ではない。
教科書は教科書。情報を選ぶことは自由、学ぶ受け手がどう捉えるかである。

近年自国の歴史もわからない日本国民はいずれ、世界からバカにされることは目に見えている。

こう述べると好戦家の戦争オタクと揶揄される現代の悲しさ。
繰り返し書くが、現代の生活の礎を築いたのは、戦争と言う辛い体験をくぐり抜けた祖父母の世代である。
それを決して、忘れてはいけない。

また同じ轍を踏むことになる。

ガックン

武田家の紹介だけであると片手落ちなので上杉家も…

上杉謙信は軍事では精強な軍団を率いて軍神のような扱い方をされるが、武田信玄と明らかに違う点は人の使い方でしょう。

謙信が上杉家を継ぐ前後も越後領内では内紛が絶えず、今の新潟市の下越地域の国人(揚北衆)は謙信に対し、裏切りと追従を繰り返しており、その鎮圧のため東奔西走している。
武田信玄も、この家臣団の不仲を利用して反乱を起こさせ、謙信を越後国内に封じ込めている。
また越後は地域的に山に囲まれているため、特に冬季の出陣は豪雪と隣り合せで活動時期に限りがあった。

実際、謙信個人も家臣団のまとまりのなさに憤り感じ、領主の地位を投げ打って寺に籠もり家臣の度重なる説得でようやく城に帰るような事件も起こしている。

元々、越後の守護は上杉家であり謙信の生まれは守護代の長尾家である。
謙信の父である長尾為景は守護の上杉家に反逆して領地を奪った経緯があるため、謙信の時代になり上杉家家臣VS長尾家臣が分裂したのもこのような理由がある。

皮肉なことに後年、宿敵である上杉家から謙信は関東管領職を譲られたため、上杉の性を名乗ることになる。

また謙信個人は、信玄と比べ領土欲がないため、戦争に勝利しても家臣団に与える領地がないため、家臣団の不満が募ることになった。
家臣団は莫大出費をし戦争に参加しながら恩賞がないがために謙信から離れる家臣がいたことも納得ができる。

それでも結束が固い武田家と川中島で大軍を率いて合戦を繰り広げ、引き分けにした事実は、謙信の武勇と知略とも言える。

その後も関東管領の謙信は信濃では武田家、関東では北条家、北陸では一向一揆と織田家と各地の大名との合戦に引き込まれている。

上杉軍団の強さは武勇に長けた将が多く宇佐美定満に代表される知略に長けた将も謙信を支えたことにある。
加えて武田家同様、全国でも抜群の算出量を誇った佐渡金山を所有し軍資金の維持ができた。

上杉領内が落ち着いたのは謙信亡き後の後継者争いに勝った上杉景勝の時代である。
兜に『愛』の字を掲げていた家臣の直江兼続も同時期に登場する。(平成21年度大河ドラマの主人公)

しかし安定した景勝の時代は既に秀吉の天下でもあり、大名同士が合戦を繰り広げていた時期は終わりを告げていた。

ちなみに謙信は無類の酒好きでもあり、生涯一度も妻をとらなかった。異説で謙信は女性だったとも言われるが、事実は信仰心が強かった謙信の気構えだったのかもしれない。

領土の取り合いの戦国時代にあって他家のために、義理を重んじた謙信の人気は根強い。

江戸時代も生き残った上杉家。逆に滅亡した武田家。

その違いがまた歴史の面白さだと感じる。

おわり

ヤマカン②

前回の続き

武田家の強み…概略にはなりますが簡単に紹介。

①内政
信玄堤に代表される治水事業を展開し新田開墾を奨励、生産性向上に努め特産品の開発にも尽力。
また甲斐にある黒川金山は金を産出し、甲州金として扱われ武田家の軍資金を支えた。また『甲州法度次第』と言う分国法を施行し法令も整備。駿河併合後は水運事業の展開も構想していた。

②外交
早い時期に今川家、北条家と三国同盟を組み東と南からの後顧の憂いを断ち、信濃全域の併合のため万全に準備、のちに織田家に対抗するため浅井家、朝倉家、本願寺とも誼を通じていた。朝廷にも寄進している。

③人事
適材適所を見極め、出自、貴賤に関係なく広く有能な家臣を集め人材登用した。武田四天王や武田二十四将(江戸時代につけられた呼称)などが有名。

④情報
三つ者(スパイ)を各地に派遣し各大名の情報を収集。また国境各地に狼煙台を配置し隣国の情勢に敏感で棒道と言われる幹線道路を整備し軍事、流通にも広く活用した。

⑤軍事
上記のような要素が背景にあり精強な軍団が形成され、武田家は特に騎馬隊が有名だが、甲信地方は馬産地として知られて元来、馬術の練度も高い。加えて甲州軍学と言われる独自の戦法や戦術を駆使していた。
例えば、合戦中は合い言葉を使い、とっさに応えないものは味方でも殺されたり、指揮官が討死にしても、次に指揮を執る者が順序づけされており、他家に比べ隊列が乱れることも少なかった。指揮の号令を執る陣太鼓も有名である。
ちなみに変わり種の部隊として投石隊などもいた。

⑥信仰
諏訪大社をはじめ、寺社仏閣に多大な寄進(寄付)をし、宗教勢力とも友好的な関係を維持。信玄も自ら出家している。(出家前の名前は武田晴信)

以上、概略を書きましたが…

武田家は信玄というカリスマの存命時は強く一枚岩でまとまっていた。
しかし信玄死後は信濃諏訪出身の武田勝頼が実質の後継者になると、家臣団が古参の甲斐出身者と新参の諏訪出身者で分裂する。
結果、徐々に勝頼は諏訪出身の家臣を重用し、甲斐出身の古参家臣が最後まで反対していた長篠の合戦に踏み切り、古参の家臣団は自殺に近い突撃を繰り返して精鋭騎馬隊は織田徳川連合軍の鉄砲隊の前に壊滅したのは衆知の事実である。
長篠の合戦は織田徳川の鉄砲隊の活躍が有名だが、武田家臣団の分裂が敗因の根底にある。

その後の武田家は親類を含む味方が次々と織田家や徳川家へと裏切り、自滅し滅亡した。

この史実は武田信玄と言う人物があまりにも大きな人間であったとも換言できる。

主家が滅んだ武田の家臣団は、後に多くは徳川家に仕えた。
家康も武田家の軍学を徳川家に取り入れ、関ヶ原、大坂の陣でも活躍している。
ちなみに
最近よく見かける…滋賀県彦根のキャラクター『ヒコニャン』
あのニャンコの赤い兜は彦根藩祖、井伊直政のもの。
井伊家は武田家臣の山県昌景隊などの赤備え(鎧が赤色の部隊)を武田家滅亡時に雇い入れ継承している。
こんなところにも武田家が関わっていたりします。

おわり

ヤマカン①

先日、今年度の大河ドラマが終了

『風林火山』は日本の戦国時代の武田家臣、山本勘助のストーリーでした。

川中島の戦いで討死にするエンディング…最後のシーンが武田重臣のみ集まっており何故か本陣がら空き…有り得ない光景で突っ込みどころ満載でしたが(笑)ドラマだから仕方ないかな。

実際、第四回川中島の戦いの勝敗ははっきりしない。
武田が北信濃の制圧を完了したわけでもなく、上杉が武田勢力を北信濃から駆逐したわけでもない。
双方が多大な犠牲を払ったことは事実のようです。
銅像で有名な信玄と謙信の一騎打ちも江戸時代の脚色で実際はなかったようです。混戦で武田本陣にも上杉兵が攻め入り信玄に斬りつけた可能性は否めないですが…。
ドラマでも描かれていたが、この戦いで武田信玄の実弟の武田信繁、重臣の諸角虎定(80過ぎの老将!)らが討死。
特に武勇知略に秀でた信繁の討死は敵味方からも惜しまれたようです。
蛇足だが、もう一人の弟の武田信廉は姿かたちが兄信玄に似ており後に信玄が病気で伏せると影武者として活躍した人で、絵画に秀でており絵ばかり書いていた文化人でもあったようです。彼は武田家滅亡の折、織田家に捕らわれ処刑されています。

巷で戦国最強と称される武田家。ただ戦争に強かっただけではない。強かった理由がある。
詳しくは…
次回に持ち越し。

春日山攻め

お務めが休みだったので馬借からレンタカーを借りて上越市方面へ出兵。

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教訓

ちょっと前の話題になるが、米国の下院で『従軍慰安婦問題は日本に責任』と決議を出したようです。

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知覧

先週の日曜日に、都知事の石原慎太郎氏が脚本監修の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の上映が始まったので見てきました。

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ソロモンの秘宝

ソロモン諸島の地震がありました。

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風林火山

其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山・・・(その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し・・・)

今年の大河ドラマですね。



昨年と同様に所感を述べます。

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